「かわるもの かわらないもの」2011.5.kana endo/ 個展時の即興演劇
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思うこととと覚悟

私は、身内の心身症のために2000年に静岡に戻ってきたのですが、
当時、心の病といのにものすごくショックだった。あんなに利発的な身内が自分のことも理解できないほど、変わり果てていたので。。。涙が止まらなかった。
今思うと、鬱ではなく神経障害だったようで、奇行や妄想など、あの時は、周りの人も認知できないで、彼女が何もないところに向かって話をしているところは、奇怪だった。今は笑い話になるほど回復して、やはり、心の病は病気で周りの愛あるサポートで治せるものなのだと思った。(今思うと私が20歳で他界した父が家族を呼び寄せたのかもしれない。お盆の時期になるとそう思う時がある。ファザコンだったので、一緒にお酒を飲みたかったなあ。多分そのまま東京にいては自分もやられていたかもしれないし、遠距離の恋愛でも疲れていたいなどなど、まあ要因はいろいろとあったけど。)

そこで、静岡に戻り、ヨーガ療法や食のことや環境のマクロビ(食で世界平和!久司道夫さんの本も素晴らしい。)などを学んだ。そこがきっかけで、東洋思想に導かれた。ヨーガ療法もそうだけど、心身症はとてもまじめな方がなりやすい。それを治すには、自分でもわからなかった、心と体を意識化して、かちかちになった、思考や体をほぐしていくしかないのだと思う。それは、結局最終的には自分にしかできない。インドの思想は、ああ、こういう視点で広い心で生きていけばいいんだ という大きな気づきや知恵を与えてくれる。それは知ることにより、本当に豊かになる。ものではない精神、心なのだと気づかせてくれる。

実際、その時は、すぐに精神科に行くべきだと思った。薬と養療。その時お母さんや周りの対応は、その奇行がよくわからず、耳なりが といえば、耳鼻科へ、内科へと認めたくなかったのか、てんで見当違いの病院にいっていたので、母と一緒に精神科にいった。それがよかったのだと思う。恥ずかしがることもなく(といっても本人はいけないので、周りが)こころの病気なんだと、すぐに精神科に行けばよかったのだ。

とても考えてしまうことなのですが、私の母方身内は自殺者が何人かいて、少し前も小さい子供がいる従妹が。。。とても優しい方が多いのだ。にこにこ笑いながら死んでいくって感じがする。なので、そのことに対して私はものすごく意識してしまうんでしょうか。
私は自殺は心の病気なんだと思う。病気でなくなったのだと思う。そうでないと周りもすごく辛い。周りにはわからないところもあるので、本当に親しい間柄しか発見できないところもある。

そんなこともあり、カルマだとか本当に自分の意思だけではよくわからない、もちろん自分でさえ、何故この父と母の間に生まれてきたのか、どうして本能的に芸術を志すのかなど、この世の摂理だってわからないことだらけで、どうにもならない運命みたいなものも感じる時がある。東洋思想では、自分の出生のこともわからないながらも考えたりする。カルマだとか輪廻だとかどこかに真理があるように思えてならない。かといって、何かに盲信するのはよくない。何事もバランスが大事なんだと思う。

そういえば、チベットのお坊さんは、医者でもあり、薬草を煎じたりする、しかも占星術師でもあるそうな。(まあ時代にもよると思うけど)人を治すということは、その出生や身体の特徴も大事だということ。(占星術ってのは生まれた時の星(火星や水星や月や太陽などなど地球の周りの星たち)の位置や方角(動き)、時間によってその人間の特性がわかるという統計学です。なので実は数値と統計なのです(ある意味科学的)。それを、すご〜い昔から、いろんな方々のその時期の(星の動き)数値を統計しているんです(いつ、何がどのように行われたかなどを残してゆく)。恐ろしいっすね〜インドでもそうですが、チベットでも占星術があり、なんとお坊さん(ラマ)が医者でもあり(薬草を調合し処方する)なんと占星術師でもあるんです。密教で日本でも伝わっているらしいです。これが伝承なんですね。)

話は飛びましたが、
そんなこともあり、静岡にもどり、自然と海 豊かなのんびりとした、静岡で、陶芸というものに出会い、土を触っていいると本当に子供に帰れるし無心になれる。アート療法というものもよいのではないかと思っている。数年前に、陶芸のワークショップをやらせていただいたときに、実感しました。大人から子供まで、本当に純粋に楽しそうだった。粘土は、不思議と触っているとなんだか癒されるし、子供の時みたいに無心になれる。

あと、今までの勉強したことが、導いているようなこともありました。
それは、以前ワークショップをやらして頂いたときに、後から聞いた話で、自閉症のお子さんがおかあさんといらして、珍しく外にで出たとのことで、お子さんが無心になって楽しく好きなように陶芸でモノを作っているところを拝見して、感動したと後からお母さんにお聞きしました。それがきっかけで、外に出られるようになったとか。そのようなことがいくつかありました。

今、準備のため、(自分のスキルアップと窯のこと、設備のことなどで)ワークショップは一時お休みしていますが、やりたいという方はありがたくおられて、器を上手に作るというのが目標ではなく、好きなものを好きなように作る、土に触るという、もっと自由で楽しみながらできるサポートをする、というものが私の陶作スタイルです。

最近、映画監督の紀里谷和明さんのトークに行って、もちろん、好きなことで生きていく、自分に正直に生きていくというものもありますが、繋がりある世界の人々の平和のことを聞いて、自分にできる社会に有益なことは?と 繋がりました。

自分にできて自分らしく、社会的貢献は、上のような 陶芸のワークショップかなあ。

あと、芸術を(作家活動)正業にしてく生き方をするということ。(芸術は思想だから)

学んできたことと考え方は一致しますが(私は結局ヨーガ療法でヨガによって助ける、のではなく、マクロビによって助けるのでもなく、アロマによって癒すのでもなく、アートによって療法したいとそれが私のやり方だと)それをやっていこうと強く思います。



2013年08月23日 Posted bykana★ at 04:35 │Comments(0)

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